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旅する女(1) イザベラ・バード / アメリア・イヤハート

COLUMN | 2020.04.02

ほんの数週間前まで、私たちは世界を気軽に旅行することができました。
しかし新型コロナウィルスの拡大にともない、あっというまにその自由が制限されてしまいました。いつ、その扉が再び開かれるかはわかりません。

歴史を振り返ると、一般客を乗せた旅客機の登場は1950年以降のこと(日本で海外旅行が自由化されたのは1964年)。巡礼以外で世界を放浪するなんて(しかも女性で!)、途方もないお金と時間、そして人生をかけた一大事でした。

それでもまだ見ぬ風景を見たいと自国を飛び出した、勇気に満ちた6人の旅する女性を3回に渡ってご紹介しましょう。
そう遠くないうちに、また私たちも旅に出られる日を願って。


1. イザベラ・バード


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自由を求め飛んだ冒険家

 時は19世紀半ばから末にかけて。当然、飛行機はなく、海外を容易に訪れることのできなかった時代。彼女は、"外国人"が足を踏み入れたことのない世界の辺境を歩き、旅行作家としての名声を得た。

 しかし、僻地を旅したからといって、 したためられたすべての旅行記がベストセラーになるとは限らない。自然な語り口による彼女の筆致は、ローカルとの密なコミュニケーションや忌憚ない独特の描写により、多くの読者を冒険の世界へと誘ったのだ。

 そうきくと、どんなにか男まさりの、 勇ましい女性なのだろうと想像するが、 実はそうでもない。恋に破れ失意のうちに旅立ったこともあれば、旅先で恋をしたこともある。
 幼少の頃より病弱だった彼女の"武器"は、か弱い女性であることだった。ただ、男子を授からなかった父に、"息子"として自立心を身につけるよう育てられたバードには、もって生まれた鋭い感性と、聡明かつ父の薫陶による洞察力が備わっていた。彼女はなるべくして旅行作家になったのだ。

 では、なぜ彼女は旅をしたのだろう。その秘密は当時のイギリス社会にある。伝統的な階級制度に縛られ、限られた役割しか与えられない女性であっても、海外では男性同様に自由な冒険ができた。そして「女にもできることは女にも権利を与えよ」と主張しつづけたバードは、旅の成功をもって本当の自由という翼を手に入れたのだ。

 その生涯は、彼女の名前にふさわしい。


2. アメリア・イヤハート

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死の危険より、飛びたい思いが勝った

 空を飛びたいと願う人類の夢は、1903年ライト兄弟の有人飛行により現実のものとなった。以降、人類の得た翼はロマンティックな夢をのせるだけでなく、国家権威の象徴として、ときには戦争の道具となりながら、時流を映してきた。

 1932年、女性初の単独大西洋横断飛行を果たしたアメリア・イヤハートは、航空黎明期に数々の飛行記録を打ち立てた、世界で最も有名な女性パイロットのひとり。容姿端麗で教養があり、友愛の精神に満ちたアメリカ航空界のスーパースターにとって、空を飛ぶことは、どんな意味があったのだろう。

 女性の地位向上を目指すフェミニスト、あるいは世界恐慌で沈む国民の希望の光としての使命感もあったには違いない。しかし、それだけで人は生死をかけることができるだろうか。

 幾度なく繰り返されただろう「なぜ飛ぶのか」の問いに、アメリアは「飛びたいから」と答えたそうだ。

 1937年、世界一周飛行中の南太平洋上でアメリアは消息を断った。

 しかし、「いつか落っこちるかもね」と危険を察知していながらも達観していた彼女には、死から逃げない覚悟があった。その覚悟は、時流が彼女に与えた使命ではなく、知的で勇敢、死を書き残したロマンチストでもあるアメリアの「飛びたいから」という純粋な欲求からくるものだったに違いない。

 世界一周の夢は叶わなかったけれど、あらゆる海の上を飛んだ彼女の軌跡は、今も色あせることなく大空に輝いている。


1.  イザベラ・バード
1831年イギリス生まれ。生涯の大半を旅に費やし、ロッキー山脈、チベット、ペルシア、ハワイ諸島、マレーシア半島、朝鮮、日本などの奥地を訪ねた。1904年没。主な著書に『日本奥地紀行』『ロッキー山脈跛行』など。

2.  アメリア・イヤハート
1897年アメリカ・カンザス州出身。1922年パイロットの免状を取得し、初めて飛行機を購入。女性初の大西洋単独横断飛行、ハワイ〜カリフォルニア間の単独渡洋飛行に成功するなど、女性パイロットのパイオニアとして、故国アメリカで絶大な人気を誇る。


illustration YOSHIMI HATORI  text SAYOKA HAYASHI
TRANSITの姉妹誌である「BiRD」からの転載記事です(2013/09発行、2013/12発行)

お詫びと訂正