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悠久からの足音に耳をすませて(熊本篇)

Travelog | 2013.01.04
秋晴れの青空に天守閣が屹立している。城内ではイチョウが黄色く色づいた葉を落とし、家族連れが憩いの時間を過ごしている。熊本城は、加藤清正が作ってから400年の時を超えて、今なお熊本人に誇りを与えている。歴史をたどることで、そこに生きる人びとの心に寄り添い、熊本の奥へと旅に出る。
  • 掲載号: 未掲載 / 撮影 : 編集部
  • ルート: 熊本市

町を歩いていると、アーケードの向こうに、ビルの脇に、城の姿がふっと目に入ることがある。21世紀の世にいながら、戦国時代にタイムトリップしたような錯覚に一瞬陥る。歴史が日常に息づいた町では、いつの間にか時空が歪み、過去の亡霊が姿を現す。

1877年の西南戦争では、敵陣の薩摩藩の手に落ちないよう自ら城に火を放ったという説もある。当時、城は国そのものだったのだろう。熊本城が今も市民に愛されていることは、城内を案内してくれるボランディアのガイドさんの語りを通して伝わってくる。ガイドへの応募者は引きも切らず、なるのは難関だという。

天守閣の頂上から市街を見渡す。かつては、加藤家、細川家の特権的な人間だけが眺めることを許された禁断の風景。彼らの心をよぎったのは、国を治めて満たされた権力欲だったのか、支配者が十字架のごとく背負わされる孤独だったのか。

優れたリーダーの資質とは、城の最上階に君臨しながら、なお市井に生きる人びとに心をくだけること。清正は天守閣や本丸御殿の壁に芋の茎を埋め込み、籠城したときに食糧を確保できるようにした。土木の整備にも力を尽くし、町が発展する基礎を築いた。その胸中には、兵士の士気を維持する戦略的な智恵と、部下に対する思いやりが混在していたはずだが、今となっては知る由もない。ただ、清正の名は、記憶に残る武将として人びとの脳裏に刻まれている。

イチョウの木が敷地内に多く植えられたのも、長期戦になった場合に銀杏の実を食べられるから。そこには飢えに苦しんだ朝鮮出兵の苦い教訓がある。清正が植樹した大イチョウ「銀杏城」は、戦乱の世から、まがりなりにも平和を享受している現在まで、人間の営みをずっと見守ってきた。毎年秋になれば、変わることなく色づいた落ち葉で敷地内を明るく彩る。

本丸御殿にある「昭君(しょうくん)の間」は、清正が豊臣秀吉の子ども、秀頼を迎えるためにつくったといわれる。清正は子どものときに秀吉に目をかけられて武将として活躍する道が開かれたため、生涯忠義を尽くした。しかし、秀吉の死後、関ヶ原の戦いでは徳川側に付く。その理由は、石田三成との不和とも、母のような存在であった淀君の忠告に従ったとも、朝鮮出兵に端を発する秀吉との軋轢とも言われる。絢爛豪華な屏風は、そのまばゆさで清正の心を覆い隠すかのように黄金色に輝いている。それは懺悔の気持ちだったのか、栄枯盛衰への諦観だったのか。

城で最も重要とされる石垣には、設計した者の戦略眼や美意識が現れる。下段は角度を緩やかに作って誘い込み、上に行くほど急勾配にして侵入してくる敵を跳ねつけた「武者返し」には、清正の罠が仕掛けられている。石垣はへりの優美なカーブでも有名。美しさを誇る壁面が、防衛面でも最大の効果を上げる黄金律に、清正の優美さと冷酷さが透けて見える。

石垣を登りきった先にある城壁には鋭角につくられた口が設けられている。城から外界を覗く回路であり、味方と敵を隔てる境界線でもある。隙間を最小限に絞った壁は、生命を賭けて戦った者に、城に守られている束の間の安心を与えてくれただろう。穴の急激な角度が戦闘時の緊張感を伝え、戦場のざわめきが聞こえてくる。

熊本県立美術館の細川コレクション常設展示室では、細川家に縁ある品々が3ヵ月毎に、季節の移ろいに合わせるようにテーマを変えて展示される。訪れたときのテーマは「細川家の婚礼」。嫁入り道具として使われた弁当箱は蒔絵による。伝統を引き継いだ工芸は、いっさいの無駄を削ぎ落とした美にたどりついた。黒の地に金を当てただけの装飾は、家紋と、自然が生み出した造形を象る。遠く海を隔てたルイ・ヴィトンもため息をつく美しさ。

鎧は重いものだと総重量が15kgあった。細川家のものは10kg程度と軽量に作られたが、それでも身につけているだけで大変な労力だった。顔は漆黒のマスクで覆われて判別できなかったため、兜の上に飾りつけて見分けた。顔の見えない武士が武者震いをすると体を覆う金具が震える。カラカラと鳴る音が共振し、やがて戦場に響き渡っていく。今まさに戦いの火ぶたが切って落とされようとしている。

トレーニングで階段を一足に駆け上げる若者、ゆっくりと時間を駆けながら朝の散歩を楽しむ近所の老人。町に暮らすさまざま人が、清正が眠る本妙寺の先にある急勾配の階段を登っていく。丘の上には像が建っている。人びとは声に出して、時に心のなかで、ある時は笑顔で語りかける。「清正公(せいしょうこ)さん、今日もありがとう」。身長が180cmを超え、ひげ面で、いかつい男が、熊本の守り神のごとく高台に立ち尽くしている。

清正が朝鮮に遠征した際、その人柄に惚れて部下となり、来日した金宦の墓。清正も金を重用し、深い信頼で結ばれた二人の関係はずっと変わることがなかった。清正の死を受け、金は自殺しようとして家族にとめられたが、数年後に自死を遂げた。今は清正の菩提寺である本妙寺に眠る。時を経て、墓は凛とした静けさに包まれているが、歴史を紐解けば、墓石を透かして人間の燃えるような感情が生んだ物語が甦る。

ある日、清正が論語を読んでいた。席を離れた時、飼っていた猿が清正をまねて論語を筆で塗りつぶしてしまう。彼は怒るのではなく、感心な猿だと褒めて頭をなでた。時代が時代だったなら、清正は動物を愛で、晴耕雨読の人であったのかもしれない。こちらも清正に倣い、論語猿の頭をさすって本妙寺を後にする。

夜、熊本市内中心部から路面電車に乗る。車内に入った瞬間、木の床と油が混ざりあった昔のバスの匂いが鼻孔をくすぐり、子ども時代の懐かしい思い出が甦ってくる。行き先は決めずに席へ座る。ゆっくり走る路面電車の車窓をスクリーンに見立て、町の風景や行き交う人びとを眺めていると、やがて終着駅にたどり着いた。一日の務めを終えた車両が、オレンジの光に包まれた駅舎で出番を待っている。パステルカラーに塗られたレトロな電車のたたずまいが、センチメンタルな空気を町に運んでくる。


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