TRANSIT /  Travelog  / Special / JAPAN  / here

悠久からの足音に耳をすませて(山鹿篇)

Travelog | 2013.01.29
江戸時代から明治時代にかけ、宿場町としてにぎわいを見せた山鹿(やまが)。小雨が降るなか、人力車が通りを走り抜けていく。力車の引き手が発する威勢のいいかけ声に誘われるように、古い街並へ一歩踏み出す。米問屋、酒蔵、温泉、芝居小屋。長く使われてきた古きものに込められた智恵や願いの印を探して、町を歩いた。
  • 掲載号: 未掲載 / 撮影 : 編集部
  • ルート: 山鹿市

熊本と小倉を結ぶ豊前街道沿いの町として栄えた山鹿。通りにある老舗の麹屋の脇に通る路地を奥へ行く。通路に古いモノクローム写真が貼ってあるのを見つけた。米俵を積んだいくつもの小船が、川を埋めるように浮かんでいる。かつて大阪や江戸へ出荷するための米が九州各地から運ばれ、人が集まり、芝居、伝統工芸、食などの文化が花開いた。奥の間では若い主が、日本酒や味噌の元になる麹作りについて話をしている。引き継いできた伝統のよさを伝えていくために、老舗の店同士で連携して行っている町興しツアーの一環だ。町の人たちが同じ意識を持ち、手を取り合って取り組んでいる。これから山鹿はどう変わっていくのだろう。10年後、この町をまた訪れたいと思った。

明治43年に建てられた芝居小屋「八千代座」の入口をくぐると、劇場は静まり返っていた。スタッフの女性が案内してくれる。「ここは町内の人びとがお金を出しあってつくったみんなの劇場なの。歌舞伎役者・坂東玉三郎の公演から、地元のカラオケ大会まで、なんでもやるのよ」。よく通る声が木のホールに響く。舞台に立ってみると、観客席がすぐそばに見えた。休演中の劇場は新しい船出をひっそりと待っている。

ステージから「奈落」へ階段を降りていくと、天井の低い空間を木製の回転板が占有していた。ここはスポットライトを浴びる舞台を支える縁の下。舞台が暗転した瞬間、裏方が力を合わせて回転板を押すと、ステージがゆっくり回り始める。明かりが戻ったときには、舞台の裏側にあらかじめセットされた次の場面が現れている。地上に戻って見上げれば、天井は復刻された色鮮やかな広告で埋められている。かつては、商店もお金を出して、劇場を盛り立てた。みんなで作り上げた舞台は、町に欠かせない存在として、中心部にどっかりとある。それは名作『ニュー・シネマ・パラダイス』の世界を想わせた。初めて訪れたのに、どこか懐かしい。

清正や細川家の歴代の領主に庇護された日輪寺には、周りの環境になじんで隠れ家のようにたたずむ庵がある。2階へ上がって庭を見下ろすと、赤、黄、橙、緑と色とりどりの樹々が生い茂り、雨露を受けていっそうみずみずしい。膳にのって運ばれてきた精進料理も、赤、黄、緑、白と鮮やかに彩りされている。住職が山で採ってきた山菜を食べると、熊本の大地の香りがほんのり口に広がった。

日輪寺の境内のなかに、それは静かに立っていた。『忠臣蔵』で知られる元禄赤穂事件の後、幕府から切腹を命じられた大石内蔵助ら17名の遺髪が葬られている。碑はきれいに掃き清められ、大切にされていることがひと目でわかる。浪士たちは幕府の命が下りるまで細川家の藩邸に預けられ、手厚くもてなされた。赤穂浪士がとりわけ熊本の人びとの心を捕らえたのは、忠義を尽くし、仲間の絆を大切にした人情が、彼らの心と合わせ鏡のように響き合ったからなのかもしれない。

400年の歴史を誇る来民(くたみ)うちわをつくりつづけている栗川商店。店内へ入ると、職人の無駄のない動きに目が止まる。竹を割り、骨をほぐして広げ、和紙を張っていく。その作業はよどみないが、とても丁寧だ。竹と和紙でできているため軽く、弾力があり、少しの力で気持ちいい風を吹かせる。自らも職人である4代目店主の栗川亮一さんは、「ヨーロッパの老舗ブランドとコラボをしていきたい」とヴィジョンを語る。この地に縁ある紋をつけたうちわは、ヨーロッパのファッションショーで、すでにランウェイデビューを果たしている。クールジャパンは、伝統に裏打ちされた技があってこそ輝きを放つ。

真新しい生成りに混ざって、異彩を放つ独特の渋い茶。昭和4年につくられたうちわは、80年の時を超えて独特の色をたたえている。消毒作用のある柿渋でコーティングされ、大切にすれば一生使えることを示している。ある客は、友人の子どもの誕生祝いにと、名をしたためてもらっている。職人が込めた誠実さ、贈る人が授けた願い、使う者が刻んでいく記憶。多くの思い詰まったうちわは、ただの物でなく、人生に欠かせない宝物となる。

山鹿市郊外にある鞠智(きくち)城の八角形鼓楼は霧雨に霞む丘の上に建っている。オリジナルが作られたのは7世紀後半。朝鮮半島の白村江で行われた戦いで日本が唐と新羅の連合軍に破れた後、両国が攻め込んで来ることを想定して築城された。しかし、建築には友好関係にあった百済から伝えられた技術が採用されている。かつて日本と朝鮮はより開かれた関係にあったのだ。その歴史的事実は、両国の未来を考える上でいい風を吹かせてくれるはず。

鞠智城が建てられた丘陵から九州の大地を一望する。ここは古代から穀倉地帯として知られ、交通の要所だった。城を守っていた防人たちのことをふと考える。家族を郷里に残して孤独のなかにあったのか。意外と平和な時間が流れていて、百済から逃れてきた人びとと仲良くやっていたのかもしれない。かねてより九州にはいろいろな国の人びとが訪れ、暮らしていた。アジアに近く、海外の文化も進んで取り入れてきた。21世紀、日本も外国との接点がより多くなり、移民も増えるだろう。九州が持つ風土は、新しい夜明けの道標となるかもしれない。


熊本の旅情報を集めるなら、県の観光サイトがおすすめ。旅の基本情報に加えて、目的別にまとめた旅スタイルを提案するコンテンツが盛りだくさん!

熊本県観光サイト なごみ紀行 http://kumanago.jp

  • 掲載号 : 未掲載 / 撮影 : 編集部
  • ルート: 山鹿市