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爆走、東チベットを行く~世界は融け合って、シャンバラの扉は永遠に閉ざされた。

Travelog | 2012.12.06
そんなの最初からわかっていた。シャンバラなんてどこにもないって、あるはずないって。それでも初めてのチベットをシャンバラにこだわって彷徨ってみたかった。地の果てまでも、ただ電線を辿って無駄な旅を続けるハメになったとしてもだ。どこかに素晴らしい場所がある、それだけで人は夢の中に生きて行ける
  • 掲載号: / 撮影 : 山西崇文
  • ルート: チベット/サンチュ・レゴン・マトゥ・タール寺・ジェクンド 他

漢民族のドライバーのバックミラーにはいつもこのお方が揺れていた--20世紀指導者の誰よりも多い7000万有余という数の国民を平時において死に追いやったという毛沢東。(『マオ 誰も知らなかった毛沢東』より)ポルポトやヒットラーも軽く霞むが、それでもみんながこのお方を大好きというなら、まぁ仕方ないね。

蘭州から貴徳まで、前半のドライバーはチョーさん。上司からのメールには『安全第一』の文字。実際、高速の分岐で停まって悩む程の安全運転だった。好チャイナクオリティ!

食い散らかす門に福来たる。悪魔が来りてヘヴィメタる。(聖飢魔Ⅱより)。朗木寺の西蔵美人三姉妹は働き者。食い散らかされた果てに、あなた達には是非しあわせになって欲しい。

ダライ・ラマのあらゆる画像は禁じられていると聞いていたが......。中国人観光客が大挙してやって来る朗木寺には、かなりおおっぴらに飾ってあった。さすがに表では見かけないが、ケータイの待ち受けやDVDや土産物やいろんなところで目にした。

ラブラン寺近くの遊牧民風豪華ホテル。宴会場ではチベット人歌手が炎のコブシを効かせた魂の歌唱を披露し、漢民族御一行様の喝采を浴びていた。会場の熱い一体感に、五族共和の理念を見せつけられた気が......しねぇ〜よ。


西宁近郊のタール寺。今日は年に一度のタンカ御開帳の日。清真と呼ばれるかつてのムスリム美女もその瞬間を心待ちにしている。

午後、奉納演芸はちびっ子僧によるガイコツダンスで幕を開けた。会場にはご覧の通り中国人観光客が押し寄せ、もはや誰に奉納するための踊りなのか?

せっかくの祭りもこいつのせいで興醒めだ。いかにも公安様が許可してやってるとでも言いたげな仁王立ち。ご苦労様、一生立ってな!

自分達のアイデンティティが案外いい商売になると気づいたチベット人。未解放の貧しいチベット人のコスプレが結構楽しいと気づいた漢民族観光客。悲しい領域で絶妙の需給バランスを保っているのは、ここがチベット文化と中華文化のせめぎ合う最前線の証。

高度はいよいよ4000mを超え、彼方に冠雪した山々が見えた。これがもしいにしえの旅なら、あの頂の向こうに素晴らしい別世界を思い描くことだろう。

ゆきゆきて、神軍!何も無い荒涼とした世界を砂塵を捲き上げて爆走するトラック。僕らの世界は経済を血液のように循環させていないと死んでしまう。天空を突っ走るトラックは僕らの血そのものなのだ。大した怪物だね、人間ってのは。

途中で偶然出くわした村祭り。観光客の一切いない純粋な祭りを見られたのは幸運だった。辺りに漂う素朴なウキウキ感が、タール寺で、いや、この旅全般で味わっていた皮肉な気分をきれいさっぱり消してくれた。清々しい気分が僕を包み、思い描いていたチベットへ融けていく。きれいに着飾った遊牧民の女性達は本当に美しい。祭りは若い男女の出会いの場、そりゃおしゃれにも気合いが入るはずだよ。

玉樹、2年前にここを襲った青海地震(マグニチュード7)で壊滅した街は、凄まじい勢いで再び起ち上がろうとしていた。巻き上げる砂塵で景色は霞み息もできないほどだが、人間の営みが止む事はない。政府が支給したテント村が広がり、工事現場のフェンスに売り物のスーツやジーンズを並べ、道ばたで砂塵にまみれて肉饅頭を蒸し、高価な冬虫夏草を握りしめ、活気とはまた別の迫力に圧倒される。この景色をモノクロで見たら、まるで戦後日本の闇市のように見えるだろう。守るべき人がいて、行くべき未来がある。ここはそんな人達のエネルギーで満ちあふれていた。

買ったまんまの桃やぶどうを皮ごと食べていると、「洗って食べないと死ぬよ、農薬で!」とガイドの丁氏に注意された。う、味は最高だったが......髪の毛から作る醤油や段ボールの肉まんが頭をよぎった。速攻、全力で洗う僕は小心者。まぁ〜洗い終わった水の汚いことったら......。

玉樹から約30キロ、4600mの山あい。一泊だけ遊牧民のテントに世話になった。川に小便をしない事。ルールはそれだけ。

ヤクの毛で編んだテント内に湯気が立ち上る。ヤクの肉入りうどんが今夜のメニュー。街から男達も帰って来て家族の時間が始まった。ハーモニカを演奏してくれた剽軽なおじさんや、何度もお代わりを勧めてくれた気のいいあんちゃん、ちょっと頭のネジの緩んだおもろいおじさん、いたずらなガキ達、にぎやかに泣く赤ん坊、優しくあやすお母さんにお父さん。そのお母さんの歌う子守唄は「オンマニペメフム」だった。本来は仏様に向けた言葉が生活の中で自然に我が子に向けられている。チベットと中国のせめぎ合う状況にばかり気が行っていたが、はじめて素直な気持ちでチベットを実感。なんだか寝付けない真夜中、録音させてもらったその声をそっと再生してみた。暗闇の中、頭の中に広がったその柔らかく深い響き。なんという大きなやさしさをたたえた声だろう。大自然の中で生きる核心は、これなんだなと思った。このやさしさこそが大自然を生き抜く強さになるのだと。

どこまで行っても電線がついてくる。シャンバラなんかもう何処にもないような気がする。世界の果てにはきっとスゴイ発電所があるだけだ!

マニカンコからセルシュ・デルゲを目指す。しかしチベット自治区へ最接近するこの挑戦は、あっけなく終わった。夜の雨は落石や崖崩れを頻発させる。ドライバーが怖いと言い出し、まだ一つも超えていない峠があと二つもあると聞かされては、引き返すしかない。

一夜明け、目指すはアチェンガル・ゴンパ。何千人もの僧が祈りを捧げる日々を送っているらしい。遥か彼方に道がつづく。四川の山は深い。

甘孜で偶然知りあった僧はアチェンガル・ゴンパの偉い活仏だという。ゴンパまで乗せて欲しいと頼まれご一緒することに。期せずして活仏様をお連れするというお墨付きを得て、アチェンガル・ゴンパへ。

遠い町と町を繋ぐ一本道。トラックやバスなど大型の車両が一台でもトラブれば何日も立ち往生ということも珍しくない。この渋滞は昨日からのもの。トラックのシャフトが折れて、町から部品が届くのを待っていた。

おお〜出た、最高記録!はじめの頃、たった2800m辺りで頭痛や嘔吐に苦しんだのが嘘のようにチョー調子イイ!高度4867mでも普通に車で超えられる時代。解放ってヤツは味気なくてやっぱ退屈だ。それが遊牧民の為でなく、漢民族が漢民族の為にやってるならなおさら......。と、いいつつも、この弾丸取材はこの解放のお陰なのだ。う〜ん、ニガいね。

アチェンガル・ゴンパの夕暮れ時。霞んだ宿坊を望む丘の上で瞑想する尼層。彼女はいまどこへ行っているのだろうか? 僕もチベット取材が決まってから千葉の山奥でヴィパッサナー瞑想というのに励んだ。10日間あらゆる情報を遮断し誰とも口をきかず、早朝から夜まで、ひたすら瞑想に没頭する日々。確かに僕らの世界は煩悩で溢れている。シャンバラ、ただその場所へたどり着ければ全てが満たされるというのに、湧き出る煩悩を満たす事で僕らはシャンバラを忘れようとしている。

甘孜から色達を抜け、ラルンガル・ゴンパへ到着。アチェンガル以上に圧巻な宿坊の密度に度肝を抜かれた。日が暮れると、田舎のパチンコ屋も真っ青の安い電飾が夜空に放たれた。良くも悪くもいつも現場は期待した景色を裏切るもんだ。けど、21世紀のチベット寺院が100年前と違ってたって驚くには値しない。ヤングハズバンドが侵攻した時に見た無垢なチベットなんて、もう見れるはずがないんだから。

四川省にて。突如現れたのは巨大なマニ車が電動でまわり、下品な金の蓮とソフトクリームにしか見えないホラ貝広場が広がる妙なテーマパークだった。当局はやっと気づいたのだ、チベット僧を殺戮し寺院を破壊してまわるより、自分達の文化だと言わんばかりに賛美した振りでこんなおもしろパークにした方が安上がりで外国からのクレームも減ると。ただ、漢民族の観光客が押し寄せて来るという目論みは見事に外れているようだがね。ププッ。

「うまい棒」はどこでもウマい!宇宙の真理。

巨大な曼荼羅が天上に描かれた豪華ホテル。もはや宇宙そのものだった曼荼羅も、ただ単に民族風情と間違ったラグジュアリーを醸すモチーフに過ぎないのだ。

若尓盖の街のWESTERN RESTAURANT。こんなアホそうな小皇帝の集いこそが、この国が求める「しあわせ」の正しいカタチなんだろう。そしてそれは僕らが求めているカタチとどれぼど違っているのだろうか? 中国人を拝金主義と蔑んだところで、僕らの国にどれほどの正義があると言うのか......。もし、僕ら求める「しあわせ」のカタチが彼らとたいして違わないなら、チベットを救う事などおこがましい思い上がりに過ぎない。

再びアチェンガル・ゴンパの僧達。明日の事など考えず、ここで瞑想と祈りの日々を送っている。瞑想とは過ぎた過去でもなく、まだ訪れぬ未来でもなく、いまこの瞬間を生きることだという。それは結局、自分に出会うという体験なのだ。悔やむべき過去にも、不安な未来にも自分はいない。本当の自分と出会う時、僕らにも彼らのような笑みが自然と溢れるだろう。それを人は悟りと呼ぶのかもしれない。

  • 掲載号 : / 撮影 : 山西崇文
  • ルート: チベット/サンチュ・レゴン・マトゥ・タール寺・ジェクンド 他