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無人の楽園島へ

Travelog | 2013.07.23
小高い丘の上に建つ煉瓦造りの古い教会。キリシタンが信仰を守るため密かに移り住み、力を合わせてつくったという。今は無人となった島には、廃墟となった集落が残され、野生のシカが跳ねている。21世紀の日本にぽつんとたたずむ不思議の島を春の初めに訪れた。

長崎県五島列島の北にある野崎島へは小値賀島から小型船に乗って30分ほど。1日2便という船便が付近の島々を結ぶ。島で生活する住人にとっては大切な足だ。船上で、島から移り住むという老夫婦に出会った。寄り添った二人は口数少なく真っ直ぐ前を見つめている。曇り空の下でどんよりした日本海をかきわけながら船が進んでいく。長く暮らした土地を離れる彼らの脳裏には、小船が後へ残していく白い泡のように、島での思い出がかけめぐっているだろうか。


白く霞んだ海の向こうに島影が現れた。船で島の周囲を走っていると、森に覆われた山中に巨大な石のモニュメントが見えてくる。ただならぬ雰囲気をたたえた巨石は王位石(おえいし)と呼ばれる。麓には沖ノ島神社が建造され、聖なる場所として崇められてきた。神道とキリスト教という二つの信仰が共存した島は祈りに満ちている。


火山島ゆえの赤茶色をした土と、モスグリーンの草地に覆われた大地には異国情緒が漂う。かつて映画で観た、ヨーロッパの果ての海に浮かぶアイルランドの風景を思い出した。聞こえてくるのはケルト音楽のメロディではなく、海から吹いてくる風の音。


島をなでていく強風のため、地表へ張り付くように低木が寄り集まっている。火山質の褐色の岩、緑の樹々、青い海と小島。それぞれがカラフルな層を織り成す色彩のハーモニー。

群生する椿の樹々。雨露を受けて深い緑に色づいた葉が連なりながら木を構成する景色のなかで、紅一点の花が鮮やかな光を放つ。五島列島に多く咲く椿は、資生堂のシャンプーに使われたり、島に建つ教会のステンドグラスのモチーフとなったりと、美しさのシンボル的存在。椿のトンネルでできた小道は、秘密の花園へつづいているよう。


小舟が到着する港から1時間ほど山のなかを歩いてようやく辿り着いた王位石。高さ24mの岩の頂上は間近で見るとはるか上。何も知らずに山のなかでこれほどの巨石に遭遇したら、手を合わせて拝みたくなるかもしれない。すぐ下にある神社の前には桜が咲き、かたわらに飲み干された古い一升瓶が転がっている。神様に見守られて、静かな日本海を見下ろし、ピンク色の花を愛でながら、のんびり流れる島時間にたゆたう。そんな春のひとときを夢想する。

王位石のてっぺん近くまでよじ上っていくと、岩と岩の間から日本海を見渡せる。二つの大きな岩が平行に建ち、その上に水平な石が橋を渡すようにかぶさっている。しかも、片方の岩は途中で切れていて接合されている。自然のなせる技なのか、神様がつくったのか、はたまたは酔狂なアイデアを思いついた奇人によるものなのか。謎は深まるばかり。


昔の学校を改装した野崎島自然学塾村は宿泊もできる。子どもたちの集団がやってくることもあれば、釣りに来た大人客でにぎわうこともある。

かつて、島に暮らしていた子どもたちが通っていた学校は、山と海という絶好の遊び場に囲まれている。自然に包まれた小さなコミュニティの学び舎に、教育の原風景を見る。

春休みを利用して島へ遊びに来ていた小学生たち。自然だけが残された島に滞在するなかで、子どもたちは遊び心という本能を刺激され、いきいきとして見える。野崎は釣りの島としても有名で、子どもたちは朝方港へやってきて、思い思いのスタイルで魚と格闘していた。

野崎島自然学塾村の前にある丘を上った先で海を見下ろす。15時頃、小舟が白い航跡を描きながら港へと入っていく。同じタイミングで、学塾村のスタッフが運転する軽トラックが、新しい訪問客を迎えに山道を走っていく。定期的にやってくる船が島に一つのリズムを作り出す。変わらない午後の風景。


島の南端にある舟森の集落はキリスト者だけが暮らしていた。島内にあった他の集落とも隔たれた僻地で密やかに営まれていた生活。信仰の自由を求めてついに見つけた安息の地における時間は穏やかなものだったのだろうか。夕方前、傾きかけた太陽の光が草に覆われた段々畑と静かな海面を照らし出すなか、かすかに聞こえてくる潮騒が答えを囁いているようだった。

野崎島のキリシタンたちがお金を出し合い、長い時間をかけて完成させた旧野首教会。世界遺産候補にもなっている教会は、明治時代に鉄川与助により設計された。教会は丘の上に建ち、凛とした姿を島の至る所から眺めることができる。煉瓦造りのファサードに刻まれた「天主堂」という文字が、西洋と日本が出会って誕生したハイブリッド建築を象徴する。


教会内部は美しい木造建築で、柔らかな曲線が空間を象る。祭壇、聖母マリアの像、ステンドグラスの枠もすべて手作業で彫られており、作り手の丹誠が胸に響く。晴天の日には、ステンドグラスを抜けた陽光が七色の光りで祈りの場所を満たす。初めて訪れる者もやさしく迎えいれるような温かさに満ちた空気は、キリスト教の唱える寛容を体現しているようだった。

島中央部にある野首海岸を見下ろす。早朝、太陽が顔を出す前は、空、海、岸、すべてがブルーの光に包まれて一つに溶け合っているような幽玄な世界。


日が高く昇り、陽光がきらめいて大地を照らす時刻には、山、海、ビーチが、緑、青、白と色彩を取り戻していく。毎日繰り返される奇跡の瞬間。


野崎は急峻な山に覆われている印象があるが、山頂の高さは300mほど。向こう側には王位石が鎮座している。朝方のお日様に照らされた赤い大地が色をいっそう濃くし、すぐ前をシカが天真爛漫に跳ねている。お伽話に出てきそうな幻想的な風景。


野崎の集落跡は港のすぐそばにある。最盛期で650人以上が島に暮らした。昔は自給自足の生活をしていたが、電気が引かれたことで現金収入が必要に。男は出稼ぎへ出るようになり、やがて家族を島から呼び寄せる。高度経済成長期に入ると、人びとは急ぐように島から出ていった。信仰の自由を求めて島へやってきた人びとが、資本主義の風に当てられて"安息の地"を出ていくアイロニー。


樹々の合間からこちらを伺うキュウシュウジカ。島に約400頭が暮らしている。人間に対する警戒心を解かず、近くにいるようで、その距離はなかなか埋まらない。自然と人間の間に一定の緊張感あるという当たり前の事実を気付かせてくれる。


早朝の野首海岸は湖のように静かだった。海は透明な青のグラーデーションを、岸は波に洗われた砂できれいなレイヤーを描き出す。一瞬で姿を変える海や砂とは対照的に、動かない岩は長い時間をかけて少しずつ形を変化させていく。動と静が共存して時間の流れを意識させる自然のオブジェ。見つめているうちにだんだんと朝が明けていく。