TRANSIT via NIPPON:特別編その1
岸田繁(くるり)の九州ぐるり旅
☞ その2:TRANSIT via NIPPON:特別編その2 岸田繁(くるり)の九州ぐるり旅
- 掲載号: TRANSIT25号 ブラジル / 撮影 : 編集部
- ルート: 唐津~有田~波佐見
まず訪れたのは、佐賀県唐津市の「虹の松原」。防風林として5kmにわたって植えられた松林を抜けると、その先は静かな浜辺だった。日本三大松原、白砂青松100選、日本の渚百選、かおり風景100選、日本の道100選などなど......、佐賀が誇る名勝だ。
虹の松原から少し西に行ったところにある唐津城。豊臣秀吉の家臣、寺沢志摩守広高により慶長7年(1602)から7年の歳月を費やして築城された「舞鶴城」とも呼ばれる古城。天守閣内は郷土博物館になっていて、唐津藩の資料や唐津焼などが展示されている。
取材のテーマである、職人巡り。唐津焼の作家として活動する〈monohanako〉の中里花子さんの工房へ。陶芸家である父、中里隆氏に学び、16歳で単身渡米。日本の伝統を大切にしながらも、豊かで自由な感性でつくりあげられる器は、日本のみならず海外でも高い評価を受けている。しなやかな指先と手のひらで、土の塊があっというまに器へと昇華される様はさすがの一言。
岸田さんお気に入りのティーポット。ほかにも、大小さまざまなお皿やタンブラーもあるが、どれも従来の形にはまらない意匠。「使い方は人それぞれ。器に合った用途を見つけてみて」と中里さん。器は飾るものではなく、使うもの。実際に料理をもりつける姿を想像しながら作品を選ぶのも楽しみのひとつ。
唐津市の観光スポットのひとつ旧高取邸。炭鉱王として成功した高取伊好(1850-1927)の旧宅で、国の重要文化財に指定されている近代和風建築。能舞台や植物の浮き彫り、型抜きの動物を施した欄間など、豪華で繊細な手仕事が光る意匠に嘆息。絵が描かれた杉戸絵や洋間のしっくい天井は必見。
唐津で投宿したのは、〈旅館・綿屋〉。明治時代の炭鉱主の館として明治9年創業。唐津ではここだけに湧く「からつ温泉」と新鮮なイカなどを使った会席料理が自慢。
次に向かったのは、毎日開かれるという朝市で有名な「呼子」。賑やかな通りへと歩いていくと、路上が即席の市場になっていた。その日獲れたばかりというタコがなまめかしくうごめく。
呼子の朝市の魅力は、なんといってもその安さ。メバルがザルいっぱいで1000円。買いたいけれど、旅の途上。指を加えているうちに次から次へと売れていく。
「おにいちゃん、ウニ食べてってよ!」と勧められたのが、その場で割って食べさせてくれるムラサキウニ。これ以上ない新鮮な味に岸田さんもニンマリ。
サザエやアワビといった貝類も豊富。旅の最終日であれば、たくさん買って帰ることができそうだが......。
きづけば両手にお土産。一番びっくりしたのが、サバの一夜干しの美味しさ。「オマケするよ〜」と、こっちが心配になるくらい足してくれて、荷物はどんどん増えていく。
せっかく九州を旅するなら岸田さんが愛してやまない鉄道で!ということで移動はローカル鉄道を利用。JR九州・筑肥線の西相知駅から肥前長野まで乗車。乗るのも好きだけれど、何より気になるのが「音」と岸田さん。エンジンの音、コンプレッサーの音、車輪の幅の音......。九州にはローカル線が多く、鉄道好きにはたまらないそう。
次なる目的地は、九州を代表する「伊万里焼」で知られる伊万里。伊万里焼のルーツは、豊臣秀吉の朝鮮出兵により、朝鮮から連れてこられた陶工たちによるもの。彼らの技術がここで日本の焼き物の礎を築いたのだ。水墨画のような谷間の風景は、どこか日本でなはいようにも思える。
いくつもの工房や販売店がひしめく伊万里。数件巡れば、間違いなくほしいものに出会える。こちらは猫が店番。倒して割りそうでヒヤヒヤ......。
案内版も伊万里焼。近くにある、〈伊万里・有田焼 伝統産業会館〉では、窯元の作品を展示した総合展示室や、古伊万里や大皿、鍋島といった古陶磁を展示。研修室では、団体での絵付体験もできるそう。
旅は西へ西へ......。たびら平戸口駅は、日本最西端の駅。資料室に展示されていた、昔の車掌さんの帽子をかぶってパチリ。
長崎の絶景スポット「九十九島」。約25kmにわたって島々が点在し、島の密度は日本一なのだとか。九十九とは「数がたくさんある」という意味で、実際には208もの島がある。
有田焼の工房〈大日窯〉は、家族経営のちいさな窯。写真はそばちょこなのだけれど、左が焼く前で、右が焼いた後。唐津焼とは違い、ガラス質に近い土のため、焼成することでかなり縮んでしまうそう。仕上がりサイズをイメージして作陶する技術が求められる。
これまでつくってきたとっくり。さまざまな絵柄をまとった作品は大切な財産。手作業で描かれるため、ひとつとして同じものは存在しない。
絵付けの様子を拝見。久保トシエさんは絵付けをして30年。ちいさなろくろに乗せられた器に筆で模様を描いていく。集中力を高め、静かに筆を走らせる。
職人の高齢化が進むなか、若手として有田焼の将来を担う博志さん。器はまず型でおおまかな形を作成。旋盤に乗せて、手先の感覚で削り、仕上げる。
取材の記念にお皿にサイン。有田焼の特徴として、青い模様は焼く前に、赤い模様は焼き上がった器にもう一度描き、さらに焼くのだそう。手間のかかる工程だ。
制作途中の器や型がひしめく工房。ここで大日窯の器がつくられている。伝統的なものはもちろん、新たな作品をつくるための試行錯誤の痕跡がいたるところで感じられた。
久保トシエさんと息子の博志さん。家族という強い絆から生まれる作品は、暖かみのあるフォルムと質感がいっぱい。これからも有田焼の伝統を大切に守っていくのだろう。
大日窯から見た風景。しずかな田んぼに囲まれた場所で、器が一つひとつつくられている。ここで選び、持ちかえった器を見るたびに。作り手の気持ち、そしてその場所(工房)の景色が思い浮かぶ。
最後に訪れたのは、波佐見焼の工房〈光春窯〉。ここは規模としては比較的大きく、1000個単位での受注を受ける工場に近いスタイルの工房。
現在、焼成の主流になっているのはガス窯。薪に比べ、火力が安定しているのと、環境にもいいという。ちなみに、先に紹介した〈monohanako〉や〈大日窯〉もガス窯を使用していた。
ずらっと並んだ焼成前の器たち。光春窯では、外部のデザインによる製造もしていて、従来の形にとらわれない作陶をしている。商品は都内のセレクトショップなどをメインに流通しているのだという。
窯に入れるために器を積んでいるところ。数量が多い場合に気をつけなければいけないのは「すべて同じ形にする」こと。作陶は手作業なので、どうしてもバラつきが出やすいけれど、限りなく同じものを量産するのが光春窯のポリシー。
工房の上にある丘からの風景。いくつか見える煙突は、かつて薪を使っていた時代の名残。1600年頃からつづくという波佐見の歴史が詰まった村だ。
村の高台にある山神社(陶山三神社)は、陶祖御三体として陶工鮮人の李佑慶、隸佑・喜佑の三兄弟を祀った神社。天井には、工房の職人さんたちが描いた絵が飾られている。
かつて輸出用につくられていたという染付白磁を用いた徳利型の容器。お酒や醤油を詰め、東インド会社を経由して海外へと運ばれた。"JAPANSCHZAKY"とは「日本の酒」の意味。海外にはコレクターもいるのだとか。
ローカル線で九州の工房を巡る旅も終点へ。千綿駅はとっておきのスポット。改札を抜けると......。
プラットフォームの向こうは海!ゆっくりと夕日が水平線に沈んでいきました。
今回の旅は、今、注目を集めている民芸のつくり手を訪ねていくというもの。どんなものでも、インターネットで買うことのできる時代。そんな時代だからこそ、実際につくり手の工房を訪れ、話を聞き、「その場所」の風景を感じたい、というのが原点でした。そして訪れた3つの工房はそれぞれ作風も、経営スタイルも、考え方もまったく別。もちろん正解なんてものはなくて、それぞれ、ものづくりに対する想いは強く、真摯で真面目で美しい、という通奏低音は同じでした。その土地に訪れてはじめてわかったこと。ゆっくり電車にゆられ、工房を訪ねる。九州は、そんな旅にぴったりな素敵な場所なのでした。
- 掲載号 : TRANSIT25号 ブラジル / 撮影 : 編集部
- ルート: 唐津~有田~波佐見
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