旅する女(2)アガサ・クリスティ / エリザベス=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン

COLUMN | 2020.04.07

世界を取り巻く状況が、日々めまぐるしく変わっています。今は、過去に旅した時のことを思い出し、いつかまた世界へ羽ばたくときのための準備期間です。
歴史を振り返ると、一般客を乗せた旅客機の登場は1950年以降のこと(日本で海外旅行が自由化されたのは1964年)。巡礼以外で世界を放浪するなんて(しかも女性で!)、途方もないお金と時間、そして人生をかけた一大事でした。
それでもまだ見ぬ風景を見たいと自国を飛び出した、勇気に満ちた6人の女性の旅の物語をお届けしています。第二弾は、作家と画家の二人。


3. アガサ・クリスティ

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 旅にミステリーはよく似合う

 イスタンブール発、フランス・カレー行きの列車内で起こる殺人事件を書いた『オリエント急行の殺人』に代表されるように、"ミステリーの女王"アガサ・クリスティもまた、旅とはきってもきれない縁をもつ。

 彼女が成功した秘訣は「旅」「グルメ」「ロマンス」の要素を物語に織りこんだことだとされる。

 幼少期には家族との保養、作家時代は英国使節団員として世界一周、再婚後は考古学者の夫の付き添いで中近東を訪れるなど、幸運にも「旅」は身近にありエピソードに事欠かなかったのだろう。イギリス、トーキー郊外の中流階級の家に生まれ、幸福な少女時代を過ごしたアガサ。

 1920年のデビュー以降、作家人生は順風満帆(私生活では失踪事件というセンセーショナルな話題も振りまいたが)、平和な晩年をおくっている。ミステリー作家というと気難しくて神経質といった人物像が浮かぶが、人見知りで、読書を好み、数学が得意な空想好きの少女時代を回想して、自伝にはこう書かれている。

「わたしは目がさめるといつでも、きっと誰でも自然に感じるに違いない気持ち、生きている喜びを感じる。(略)目を開けばまた新しい一日がここにある、いうなれば、未知のところへの旅のまた新しい一歩がある。人生というすばらしくおもしろい旅である」。

 彼女は「旅」を題材にスリリングなミステリーを書いた。しかし、私生活で描きたかったのは平穏で楽しい人生という旅だったに違いない。


4. エリザベス=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン

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放浪を強いられながらも描きつづけた

 パリ生まれの美人女流画家が、ローマ、ナポリ、トリノにミラノ・・・・・・イタリアを周遊してウィーン、さらにはサンクトペテルブルグへ。こうきくと、素敵なヨーロッパ放浪のように思われるが、彼女が背負っていたのは「亡命者」という肩書きだった。

 彼女とは、マリーアントワネットの宮廷画家として、18世紀ヨーロッパで名を馳せた画家、ルイーズ・ヴィジェ・ルブラン。モデルの美点を感性で受け止め、人物の内面を浮き彫りにするようにしてルイーズが描いた肖像画は、畏怖や敬愛の念を引き出すことが当然と考えられていた当時、ときに揶揄もされたが、王侯貴族からの高い信頼と評価を得た。

 フランス革命後、ギロチンの犠牲になることを恐れた彼女は幼い娘を連れてパリを脱し、12年ほどヨーロッパを放浪。子育てをしながら絵筆一本で生計をたてるのは並大抵の苦労ではなかっただろう。しかし彼女の画才は各地で認められ、上流階級の者たちからの依頼を受け次々と肖像画を描いた。

 パリに帰郷してからも肖像画が世界一の市場となっていたロンドンへ渡るなど、精力的にキャンバスに向かっていたことが窺い知れる。ルイーズは『回想録』の中でこう述べている。

「放浪しながら心静かに、懸命に働きながら高潔な心を失わずに生きた」。

 尊敬する王妃を失い、夫や娘との確執もありながら、70代になってもなお肖像画の制作を続けた彼女にとって、絵を描くことはすなわち働くこと、生きることだった。


3. アガサ・クリスティ

1890年イギリス生まれの推理作家。長編、短編、戯曲など、その作品群は100以上にのぼり、発行部数は全世界で10億冊を超えるとされる。代表作に『そして誰もいなくなった』『アクロイド殺し』など。1971年には大英帝国のデーム(男性のナイト)の位を授かる。1976年没。



4. エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン

1755年パリ生まれ。画家の娘として教育を受け、1776年画商のジャン=パティスト=ピエール=ルブランと結婚。86年の生涯を通じて約660点の肖像画、200点の風景画を制作。自画像も数多く描いた。


illustration YOSHIMI HATORI  text SAYOKA HAYASHI
TRANSITの姉妹誌である「BiRD」からの転載記事です (2014年3月発行、2014年6月発行号)

お詫びと訂正