旅する女(3)ネリー・ブライ / ガートルード・ベル

COLUMN | 2020.04.15

女性が一人で世界を放浪するなど無謀だといわれたのはそう昔のことではありません。それでも異国へ飛び出すことを選んだ女性たちの旅の物語をお届けしてきました。最終回は新聞記者と考古学者の二人です。
自由に旅をしていた時のこと、そしていつかまた世界で遊べる日のことを思って。


5.ネリー・ブライ

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女は新聞を読まないーーそんな時代の女性記者

 汽車もほぼなかった19世紀末、船で世界を一周した女性がいた。ヴェルヌの小説『80日間世界一周』の記録を破るという自らの企画で挑戦したものが−−−。

 ネリー・ブライ。18歳にして初の女性記者となり、次々と世間を賑わす記事を書いたアメリカ人ジャーナリストである。新聞には有名人のことだけでなく、貧しく虐げられたひとのことも載せるべきだと、貧民街に通うなどして「彼らの物語」を書きつづけた。

 最大の転機はピューリツァーの新聞社に入社したこと。精神病院への潜入取材、政界のドンを計略に乗せ悪事を暴くなど、その勇気と大胆さは喝采を得る反面、「女のくせに」と侮辱、反感をかうことも多かった。ピューリツァーはネリーを高く評価し、世界一周の最短記録をつくるという無謀な企画を承認した。

「私ひとりで世界をくまなく回りたい」と言ったネリーの持ち物は、服2枚にトランクと手提げ鞄がひとつずつ。ロンドン、パリ、カイロ、北京、横浜と、さまざまな国から届く彼女の記事を、読者は自身の経験として読み、待ち望んだ。

 結果、ネリーは72日間で世界を一周し、国際的な名声を手に入れたのである。

 "女というものは新聞記者を書かないのである。そんなことは赤ん坊でも知っている"という時代。彼女が勝ち取ったのは記録だけではなく、女性の自立の証明でもあったのだ。

 ジャーナル紙はネリーが亡くなったとき、「彼女はアメリカにおける最優秀の記者」と賛辞を送っている。

6.ガートルード・ベル
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砂漠に魅せられた令嬢


 旅は、絶望から逃げ出すためのもっともオーソドックスな手段である。百年以上昔の英国人もそうしていたように。

 イラク建国の母として知られるガートルード・ベルは、英国の名家に生まれ、オックスフォード大を優秀な成績で卒業した才媛。幼い頃から東方への憧れがあった彼女は、23歳のときにしたペルシャ(現イラン)で初めての恋人に出会い、砂漠の巨大さとオアシスの美しさに取り憑かれた。

 不幸にもその恋人が急逝したとき、彼女は旅と登山で傷を癒し、つづけて親友と伯母がこの世を去ったときも世界旅行へと出かけている。

 ペルシア語、アラビア語の勉強に打ち込んだ後エルサレムの地を踏んだのは、東方への"浪漫"を求める心の強さから。英国では女性がひとりで外出することさえままならない時代、ひとりで馬にまたがり砂丘を旅したガートルードは、自由を求め、危険性よりも勇気と好奇心が勝った女性だったのだ。

 行動することで孤独を克服したガートルード。現地の人びとと刺激的な交流をしながら砂漠をかけめぐった彼女の卓越した語学力と土地勘、人脈は、第一次世界大戦時のトルコに対するアラブ反乱で諜報員としてもその能力をかわれ、イラク建国に携わる存在にもなった。

 砂漠に魅せられた旅人は、このような言葉を残している。

 「(前略)真なる東方よ。活気に満ち、つねに変化しているのです。わたしはその冒険的な雰囲気に感動し、呑み込まれてしまったのです」(『砂漠の女王』ジャネット・ウォラック著・内田優香訳)。


5.ネリー・ブライ
1864年アメリカ生まれ。世界初の女性記者。本名はエリザベス・ジェーン・コクラン。ネリー・ブライは初めての署名原稿に対して編集長がつけたペンネーム。34歳で実業家と結婚しジャーナリズムから引退したが、夫の死後事業を継ぐもうまくいかず復帰。晩年まで記者であり続けた。1922年没。

6.ガートルード・ベル
イギリスの考古学者。1868年、鉄鋼王の裕福な家庭に生まれる。アラビア砂漠をかけめぐり、イギリス外務省アラブ局ではT.L.ロレンス(アラビアのロレンス)と働いた。1926年、57歳で、睡眠薬過剰摂取により永眠。


illustration YOSHIMI HATORI  text NOBUKO SUGAWARA
TRANSITの姉妹誌である「BiRD」からの転載記事です(2014年9月発行、2014年12月発行号)

お詫びと訂正