「ちょっとここらで一服を。」島田雅彦さん編

Info | 2020.07.28

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学生時代より、定期的に海外を訪れているという作家の島田雅彦さん。純文学、紀行文、私小説......多岐にわたる作品には異国のエピソードが散りばめられることも多いが、そもそも氏にとって、世界を歩くこととは。


ニッチを探して。

 旅先の選び方は、なんとなく、ですね。だからたいした目的もないんです。基本、ぶらぶら飲み歩いてますね。でも、それで良いんですよ。たとえばどこかに行きたいと目的をもって旅をするとなると、名所めぐりのようなものになりがちですよね。そうなると旅がどんどんステレオタイプになっていく。当て処もない、というのは最高の贅沢だと思っています。
旅先での個人的な楽しみはニッチ探しです。
旅というのは地元の人の生活圏である場に、余所者が入り込む行為なわけですよ。そうなると、余所者が落ち着けるというか、そういう場所というのは当然ながらすごく限られている。だから自分が身を寄せられる隙間というのを探していて、これをニッチ(生息域)と呼んでいるわけです。どこでもいいんですよ。例えばニューヨークに居たときに、よくセントラルパークに行ってました。だいたいあそこはジョガーが我が物顔で走っていますから、僕みたいなのがフラフラ歩いていると邪魔なんですね。だからジョガーが居ないところを探して歩いていく。セントラルパークには大きな岩がある場所があってですね。あの辺だと人もあんまりいないし、毛氈でも敷いて野点なんてしたら最高じゃないか、みたいなこういうポイントが見つかるわけです。自分としては直感的にいいと思うんだけど、人があまり居ない場所を探して彷徨い歩く。これをニッチ探しと呼んでいます。
 犬が散歩のときにマーキングするでしょう。まあ、あれと同じですよ。そうやって勝手に自分のテリトリー宣言をしていくと、ピンポイントで自分のニッチができていく。それを個人的な植民地主義なんて呼んだりして、世界を征服していくわけです(笑)。たとえば入り組んだ路地にある、なにに使うんだかよく分からない一角を見つける。たいていのツーリストが素通りする死角。そういうところに落書きのひとつでもしてやれば、マーキングになりますよね。川に石を投げ込むなんてのもマーキングです。眺めるだけじゃなくて、そこになんらかの行為を乗せるわけです。そうすると、その場所と縁ができる。俄然その街が、自分に近づく。

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オッパイ橋とヴィヴァルディ

思わぬ場所が先人との縁を結んでくれることもあります。ヴェネチアに、僕のお気に入りの、直訳すると"オッパイ橋"というものがある。実はアントニオ・ヴィヴァルディがその辺りの生まれだということを知る。なんでオッパイ橋かというと、かつてその辺りには娼婦がたくさんいたからなんですね。そんなオッパイ橋の上に立って「ヴィヴァルディ少年は、ここの娼婦に筆卸ししてもらったのかもしれぬ」なんて考えたりする。そういう自分だけのストーリーを紡げるというのもニッチのよさでしょうね。それをすると、オッパイ橋は僕とヴィヴァルディの立派な接点であり縁になるわけです。


秘境はいたるところにある。

世界を巡り始めたばかりの頃は「まだアフリカに行っていないな」とか「富士山より高いところに行ったことがないぞ」なんてことも考えて、行く場所を選んだりもしてましたが、いまはそういう考えはないですね。別に秘境なんて目指さなくていい。考え方をちょっとだけズラすだけで、あらゆる場所が秘境になる。たとえば編集者の都築響一なんて人は、独り暮らしの女性の部屋を最大の秘境だと思っていたりするわけですよ。オッサンが絶対に入り込めない秘境(笑)。そういうふうに人とズラした見方をすれば、ストーリーのネタはいくらでも路上に落ちている。

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熟成された旅の記憶が作品に力を。

旅が作品に影響を与えることはもちろんあります。ただ、これから書こうと思っている作品の取材のために旅に行ったりすることは、ほとんどありません。旅は旅でしておく。その経験は、記憶に蓄積される。しばらくするとそれがある程度熟成されて、それが作品のなにかに使える、という感じです。その土地について書く場合には前に行ったことがあって、その時の記憶をベースにして書き始めるわけなので、取材のための旅というのは、結局それの確認という行為になってしまう。となると、それほど必要ではない。大切なのは過去に行ったときに、五感で感じたことの記憶。旅日記なんかもつけませんね。記録を見ないと思い出せないようなことは、大した記憶ではないんですよ。

なぜ人は旅へ行くのか。

旅に行くことに、そんなに深い意味はありませんよ。そもそも、人間が直立歩行をはじめて、土踏まずもでき、アキレス腱も発達した。そうやってサルよりも速く、遠くへ行ける体のつくりになったわけです。だからしょうがないんですよ。体がそうなっているんだから、遠くへ行くしかない。そうやって世界中に人類が広がっていったわけですし、旅は本能の要請ですから。だから「なぜ旅に行くのか?」なんて聞いちゃいけないですよ。旅をしないのは、本能への裏切りである、と。

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しまだ・まさひこ●1961年、東京都生まれ。東京外国語大学ロシア語学科卒。1983年『優しいサヨクのための嬉遊曲』でデビュー。『彼岸先生』『退廃姉妹』『虚人の星』『カタストロフ・マニア』等著書多数。法政大学国際文化学部教授も務める

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