世界が恋したNIPPON
浮世絵とジャパン・ブルー
【ブルーに恋して!】

COLUMN | 2021.03.17


江戸時代後期にもたらされた青色絵具は、浮世絵に新風を吹き込み、多くの名作を生んだ。北斎と広重という二人の才能の表現を広げ、やがて世界を魅了した、浮世絵の青の世界を見ていこう。
 
 
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歌川国貞(三代豊国)
天日坊法策

市川小団次米升
万延元年(1860)3月 大判錦絵太田記念美術館蔵
 
国貞の最晩年の役者大首絵シリーズの1図で、安政元年(1854)8月河原崎座「吾嬬下五十三驛」に取材。画面からはみ出さんばかりに役者の容貌をとらえる。ビビッドな色彩だけでなく、幕末の高度な彫摺技術による、精緻な細部表現にも注目したい。


 
浮世絵の青
-ベロ藍と2人の天才-

 
新しき青
  
今から約190年前、浮世絵界では空前の青ブームが巻き起こっていた。その要因のひとつは、ベロ藍(ベロ、プルシアンブルー)と称される青色絵具が、新たに利用され始めたことにある。
 
これ以前、浮世絵版画では早くは露草、次いで本藍が青色絵具として用いられた。いずれも植物性の染料で、露草は水溶性で色がにじみやすいうえに退色しやすく、また本藍は退色しないものの、水に溶けず「ぼかし」、つまりグラデーションがつけにくいという、それぞれ難点があった。

これらを克服したのがベロ藍である。1707年にベルリンで誕生したベロ藍は、鉄を主成分とする化学合成顔料。水溶性でさまざまな色調を容易に作り出すことができ、かつ非退色性であった。早くも18世紀後半には日本絵画に用いられたが、輸入に頼る高級品であったため使用者は制作費に余裕がある者に限られていた。
 
そもそも浮世絵版画は、フルカラーとなるまでにも長い月日を費やしていた。17世紀後半、墨一色で摺られる「墨すみ摺ずり絵え」からその歴史がスタートすると、丹を彩色する「丹絵」、紅を彩色する「紅絵」、膠分(にかわぶん)の多い墨を用いる「漆絵」と、手彩色の技法を軸に展開していく。

延享元年(1744)、紅と緑を主色として摺る「紅摺絵」においてカラー印刷の技術が確立すると、ついに明和2年(1765)、鈴木春信によって「錦絵」、すなわちフルカラー印刷といえる「多色摺」が創始された。以降、色彩豊かな作品が生み出されるようになるが、青色に関しては前述した露草や本藍が用いられていた。
 
また19世紀に入ると浮世絵の受容層の大衆化が進み、低価格であることも重要となってきた。こうした状況のなか、ベロ藍が中国から安価にもたらされるようになる。文政12年(1829)頃から浮世絵版画に用いられ始めると、ようやく得られた性能もコストも理想的なベロ藍は、またたく間に青色絵具の主役となってゆく。
 
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歌川国芳
おぼろ月猫の盛

天保14年(1843)頃 団扇絵判錦絵ギャラリー紅屋蔵
  
 
猫たちが織りなす遊郭の情景。遊女の絵が禁止された天保の改革時に制作された1図だが、表情豊かな猫の姿には猫好きとして知られた国芳の本領が発揮される。藍染の浴衣や手拭も描かれ、青に満ちた江戸の暮らしがうかがえる。

  
ベロ藍と北斎
 
多くの絵師がベロ藍を多用する「藍摺」を手がけ始めるなか、風景画の傑作のひとつが誕生する。葛飾北斎「冨嶽三十六景」シリーズである。
 
 
「藍摺」と称される藍一色で描かれた1図。輪郭線には本藍、他の青の部分にはベロ藍が併用される。岩と漁師と釣り糸が形作る三角形が富士と相似形を成し、両者の間の波の線と淡いベロ藍が広遠な空間を演出する。練られた構図も見どころ。
 
 
空や海の、鮮やかな青が印象的な同シリーズは、北斎の代表作であると同時に日本絵画のなかでもトップクラスの知名度を誇る名品である。ちなみに広告文には「藍摺一枚一枚ニ一景ツゝ追々出版」と記されており、本シリーズもまた、ベロ藍を主体とした青い画面をその目玉としていたことがわかる。確かに、幾度となく絵画化されてきた富士であればこそ、これまでにないビビッドな青をまとうその姿は人びとの目に鮮烈に映ったに違いない。
 
「冨嶽三十六景」の刊行は、文政13年(1830)頃から天保5年(1834)頃までにかけて断続的に行われたと推測されている。「三十六景」と銘打ちながらも、好評のため36点に10点が追加、最終的には46点が刊行された。そして本シリーズの大きな成功は、風景画を浮世絵の人気ジャンルとして確立するにいたる。なお刊行開始当時、北斎は数え年70才。老境に達してなお新しい表現に挑戦し、かつ唯一無二の造形を生み出すその天賦の才には驚かざるを得ない。
 
 
小布施に滞在した折に制作した祭屋台の天井図で、北斎晩年の代表作のひとつ。鋭い爪のような形をした波濤が渦を巻き、迫力ある画面となっている。近年の研究により、女浪の波の部分にベロ藍と本藍の併用が確認された。
 
 
ベロ藍と広重
 
北斎の「冨嶽三十六景」刊行から間もなく、新たな才能が頭角を現し始める。ベロ藍を効果的に用いた風景画を続々と発表し、一気に人気絵師の仲間入りを果たした歌川広重である。
 
天保4年(1833)頃、広重が刊行を開始したのが、街道沿いの景色を叙情的にとらえた名作として名高い「東海道五拾三次之内」シリーズであった。つまり文政末期から天保前期にかけての数年は、「冨嶽三十六景」と「東海道五拾三次之内」という、浮世絵風景画を代表する大作が世に送り出された、画期をなす時期であったといえる。そしてそれは、ベロ藍が北斎と広重の才能を触発したことによって、もたらされたものであった。
 
北斎は、線描でモチーフを再現し、構図を作り込むことによって奇抜な作品を生み出すことを得意とした。対して広重は、複数の遠近法を駆使して奥行きある空間を破綻なく再現し、さらに刻々と変わる空模様や揺らぐ水面を、ベロ藍のグラデーションの妙をもって繊細に表現してみせた。
 
実は広重の風景版画への登場以降、北斎は制作の場を徐々に肉筆画へと移していく。当時の人びとに広く受け入れられたのは、日本人の心情に添う詩情あふれる画面を構築した広重作品だったのである。ベロ藍の登場は、風景画の確立、名作の誕生、絵師の世代交代といった事態を促す転換点となった。
 
 
世界と北斎、広重
 
北斎と広重の作品は、欧米で起こったジャポニスムを通して海外の芸術家たちにも愛された。パリで作曲活動をしていたドビュッシーは、書斎に「神奈川沖浪裏」を飾り、同図の模写を交響詩「海」(1905)の楽譜の表紙に用いた。
 
広重最晩年の代表作「名所江戸百景」は、極端な遠近法を用いた大胆な構図も魅力のシリーズだが、「亀戸梅屋敷」や「大はしあたけの夕立」が後期印象派の画家フィンセント・ファン・ゴッホに模写され、「京橋竹がし」がロンドンで活躍したジェームズ・マクニール・ホイッスラー「ノクターン:青と金色―オールド・バターシーブリッジ」(1872〜75、テート美術館)にインスピレーションを与えたことも広く知られる。とくにホイッスラーは、構図だけでなく繊細な色彩のグラデーションにも本図からの影響を見せている。
 
 
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歌川広重
名所江戸百景 京橋竹がし

安政4年(1857)12月
大判錦絵 シカゴ美術館蔵 Art Institvte Chicago, Gift of Chester W. Wright, 1961.149A
 
月下の京橋を銀座方面から眺め北岸の竹河岸を望む。夜景を得意とした広重だが、本図では満月の周辺の青をわずかに濃くすることで、その輝きを再現した。誇張された遠近法や繊細なベロ藍のグラデーションは、ホイッスラーにも影響を与えた。

 
 
これらの作品が国境を超えて愛された歴史を見るにつけても、ベロ藍と2人の天才との出会いは、日本美術における奇跡のような出来事のひとつであるように思われるのである。
 
 
青のある暮らし
 
最後に、江戸時代後期は、浮世絵に限らず生活のあらゆる場面が青で満たされた時代であったことにも触れておこう。木綿の普及と染色技術の向上が見られた当時、藍染めが庶民に広がり、浴衣や手ぬぐい、暖簾にさかんに使われていった。また器にも青があふれた。19世紀に入り有田だけでなく瀬戸でも染付磁器が生産できるようになると、青の模様で彩られた染付の食器や植木鉢が市民の手にも届くものとなり、生活のあらゆるシーンを飾ることになった。その様子は、もちろんベロ藍を用いて浮世絵にも描かれている。現代人の想像をはるかに超えて、当時の人びとは青を愛でていたのである。

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出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp)
 
伊万里
染付松竹梅唐草文大皿

江戸〜明治、19世紀東京国立博物館蔵
 
中央に松竹梅を配し周囲を蛸唐草とする。さっぱりと表された松竹梅と、生命力を感じさせる密に表された蛸唐草の対比も面白い1点。江戸時代後期以降、染付模様の器は庶民にも親しまれ、浮世絵にも度々登場する。

 
 
葛飾北斎や歌川広重の浮世絵が世を魅了し、藍染が街に溢れた江戸の街。政治の中心地となりどんどん人口が増え、いろんな形の文化や暮らしが紡がれたその先に、現在の東京という街ができ上がった。
 
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赤木美智(太田記念美術館)=文
あかぎ・みち●1977年徳島県生まれ。太田記念美術館主幹学芸員。太田記念美術館にて「広重と清親―清親没後100年記念」「青のある暮らし―着物・器・雑貨」、また2021年1月6日より開催「和装男子―江戸の粋と色気」展などを担当。
 
*この記事は、TRANSIT50号「美しき日本の青をめぐる旅」をもとに構成しています。
 

 

  
   
 

お詫びと訂正