3分で読む東京時代絵巻
明治・大正の衣・食・住
【51号 東京を時空旅行!】

COLUMN | 2021.04.06

現在発売中の『TRANSIT51号 東京〜江戸から未来へ時空旅行!〜』から、時代ごとの東京の暮らしを覗いた「東京時代絵巻」企画をご紹介。


本誌では政治・経済、娯楽・カルチャーなど、さまざまな視点で暮らしを解説しているけど、ここでは「衣・食・住」に絞って、かけ足で見ていこう。3分間の明治・大正の旅へ!



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約260年にわたり侍が支配していた江戸時代。外国にかたく門戸を閉ざしていたが、1854年に開国をして、明治(1868〜1912年)、大正(1912〜1926年)時代は近代化へ大きく舵を切っていく。


そのわずか40年ほどで西洋化を遂げ、庶民の生活も激変。


銀座は西洋文化のショーウィンドウとして賑わう。大正には"銀ブラ"なる流行語が生まれ、人びとは銀座で新時代の空気に酔いしれた。

 
    


【衣】元祖コギャル? モガの登場
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明治時代に新しい文化がいち早く入ってきた銀座では、洋服を着る富裕層と着物を着る庶民が混在し、洋服と和服を組み合わせて着るものもいた。


大正末から昭和にかけて、モダンな着こなしの流行が生まれたのも銀座だった。


洋服を着て、短く髪を切りそろえた女性は、おしゃれに心を配り、はっきり自己主張するなど、新時代の到来を象徴する存在としてモダンガール(モガ)と呼ばれた。ただ、彼らは都市部に暮らす裕福かつ特権的な人びとで、憧れと同時に、嘲笑の対象にもなっていた。


  

【食】和洋折衷の食文化
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文明開化の象徴として庶民にも浸透したのが、西洋式の食習慣や食文化。


幕末に居留外国人経由で肉食文化がもたらされると、1872(明治5)年には日本初の西洋料理店〈築地精養軒〉が開店し、1877年には牛鍋屋(すきやき)が都内で550軒に増えるなど一気に広がる。


銀座では、〈木村屋〉のあんぱんや〈煉瓦亭〉のオムライスなど、カレーライス、ハヤシライス、トンカツ、コロッケといった和洋折衷な洋食が生まれ、レストランで食べられるようになる。


大正12年には日賀志屋(現在のエスビー食品)がカレー粉の製造をはじめ、だんだんと洋食が家庭料理にも入り込んでいった。

 
  
【住】山の手住人が銀座のパトロン
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銀座は職人や芸者が暮らす下町だったが、明治以降は小売りの街として発展。当初は店舗が住宅を兼ねていたが、徐々に店舗専用へ。


銀座の発展を支えたのは、麹町、赤坂、麻布、馬込、小石川、本郷などの住宅地に暮らす"ホワイトカラー"の勤め人。中産階級の彼らは足繁く銀座へ通い、消費を楽しんだ。


また、三菱創始者である岩崎家などの超富裕層は、"お雇い外国人"に依頼して、西洋風の豪邸を建てた。よく知られるのが、工部大学校(現・東京大学工学部)の建築学教授として来日していた英国人建築家ジョサイア・コンドル。岩崎弥之助高輪邸、三菱一・二号館をはじめ、麹町の鹿鳴館、神田のニコライ堂などを設計。東京の町並みに西洋の建築様式が徐々に取り入れられていった。コンドルは辰野金吾などの日本人建築家を育成したことでも知られ、明治以降の日本建築の礎を築いた一人でもある。


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『TRANSIT51号 東京』はほかにも、各時代の東京を深く知る企画が詰まっています。
過去から未来に想いを馳せて、多層な東京の街を散策してみませんか?

illustration=KAORI YAMAGUCHI
text=MIKITO MORIKAWA

お詫びと訂正