江戸を感じる東京散歩
朝から夜まで娯楽に興じて
【51号 東京を時空旅行!】

COLUMN | 2021.04.26

長屋で井戸端会議をし、蕎麦屋でさっとお昼を済ませ、落語や相撲といった娯楽に興じる。時代劇で描かれるような江戸っ子の1日を、21世紀の東京で体験してみるのはどうだろう? 江戸時代、政治の中心は江戸城(現在の皇居。千代田区一帯)、商いの中心は日本橋だった。東側の東京を中心に、江戸時代を生きた庶民の暮らしを感じるショートトリップへ出かけてみよう。

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©️Masafumi Sanai
 
 
小さな漁港からはじまり、世界有数の一大都市へと発展を遂げた江戸・東京。かつては人もまばらで、湿地帯の入江と葦の草原が広がる片田舎だったが、徳川家康が天下をとり、江戸幕府を開いたことによって市街拡張や埋め立てが進んでいった。
 
 
江戸城があった皇居から東へ2キロ離れたところにある日本橋は、五街道の基点。現在の中央区日本橋1〜3丁目あたりは、多くの商人たちが行き交う江戸のメインストリートで、呉服屋の「越後屋」(現在の三越)などの大店が並んでいた。
 
通りを抜けたら、まずは、日本橋川にかかる橋、〈一石橋(いちこくばし)〉を渡るところからスタートしよう。現在はビルに囲まれ、東京都道405号外濠環状線が通り、頭上には首都高速都心環状線が走っているが、江戸時代にはここから富士山が綺麗に見えた。東京は大都市でありながらも、のどかだった。

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©️jmho
 
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〈一石橋〉
東京都中央区日本橋本石町1丁目〜中央区八重洲1丁目
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さて、商業の中心地・日本橋から少し離れて、落語の舞台でもよく登場する浅草へ。〈浅草寺〉へ向かう。なんたって、都内最古の寺だ。飛鳥時代、漁師の兄弟が、隅田川で偶然網にかかった仏像を拝し、のちにお堂を建立し祀ったことが縁起になっている。実は浅草寺、おみくじが辛口で有名。凶に当たる確率が高い。運試しをしてみるのも一興。
 
門前町として店が立ち並んでいた浅草は、徒歩圏内に吉原遊郭、両国や蔵前といった相撲に縁のある場所があって、娯楽の地として賑わった。
 
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©️Masafumi Sanai
 
 
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〈浅草寺〉
東京都台東区浅草2-3-1
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お昼時、お腹が空いたところで浅草の老舗蕎麦屋〈翁そば〉で腹ごしらえ。近くに〈浅草演芸ホール〉があり、出番前後で落語家がよく立ち寄る店でもある。江戸時代、せっかちな江戸っ子の胃袋を支えたのは、蕎麦や寿司、天ぷらといった"屋台メシ"だった。ちなみに蕎麦は一杯16文(現在の約240円。*一文15円で計算)、天ぷらは一串4文(現在の約60円)程度だったと考えられる。
江戸の定番蕎麦といえば、海苔が渦巻き状に並んだ「花巻蕎麦」や、五目蕎麦の一種である「しっぽく」。〈翁そば〉では花巻蕎麦が楽しめる。太めでコシのある自家製の手打ち蕎麦が魅力で、カレー南蛮や冷やしたぬき蕎麦が人気メニューだ。
 
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©️Masafumi Sanai
 

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〈翁そば〉
東京都台東区浅草2-5-3
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お腹がいっぱいになったところで、いよいよ1日のメインイベントとなる落語鑑賞へ。〈浅草演芸ホール〉は、落語のほかにも漫才やものまねなど多様な演目で昔から愛されている寄席。こうした定席の寄席は、東京では浅草のほかに、新宿、池袋、渋谷、上野、永田町に大きな寄席があり、それぞれ雰囲気が異なる。たとえば〈新宿末廣亭〉は江戸落語の昔ながらの風情が残る、都内で唯一の木造の寄席。
 
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©️Mitsue Yamamoto
 
 
〈池袋演芸場〉はほかの落語寄席よりは小さめだが、噺家との距離が近く臨場感があり、アットホームな雰囲気だ。〈渋谷らくご〉は予備知識がなくても楽しめるニュータイプ落語会がよく行われていて、間口が広い印象。永田町にある〈国立演芸場〉は格式高い空気があり、上映時間が長く、リーズナブルな鑑賞料は国立運営ならではだ。
 
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〈浅草演芸ホール〉
東京都台東区浅草1-43-12
 
〈新宿末廣亭〉
東京都新宿区新宿3-6-12
 
〈池袋演芸場〉
東京都豊島区西池袋1-23-1


〈渋谷らくご〉
東京都渋谷区円山町1-5 KINOHAUS 2F
 
〈国立演芸場〉
東京都千代田区隼町4-1
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落語の世界に触れて、生き生きとした庶民の暮らしをもっと知りたくなったら、街歩きに出かけよう。月島や佃島には、昔ながらの長屋が多く残されている。江戸時代から現存しているものはないものの、離れ小島のこのエリアは、取り囲む運河が防火壁となり、空襲を逃れたため、戦前の街並みが残っている。
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©️Masafumi Sanai
 
 
ちなみに江戸時代では、親子4人で六畳一間のワンルームというのが庶民の基本。井戸や厠(かわや)は共有で、風呂は火事防止のため設置されておらず、町の銭湯を利用していた。江戸の歴史文化を実物資料や復元模型を用いながら紹介している〈江戸東京博物館〉では、実物大の「棟割長屋(むねわりながや)」の模型もあり。さまざまな職業の人たちが互助の精神で日々生活を営んでいたことがよくわかる。
 
 
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〈月島・佃島の長屋〉
東京都中央区月島、東京都中央区佃一帯
 
〈江戸東京博物館〉
東京都墨田区横網1-4-1
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さて、日が暮れてきたところで浅草に戻って、銭湯へ。浅草と南千住との間にある〈鶴の湯〉は、立派な宮造りの銭湯。薬湯、シルク風呂、ラドン風呂など種類が豊富で、入湯料のみでサウナにも入れるところが魅力的。浅草の銭湯は近年閉店に追い込まれているところもあるが、〈曙湯〉も宮造りの銭湯が残っている。
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©️Masafumi Sanai
  
 
江戸時代、風呂なしの長屋暮らしをしていた庶民にとって、銭湯は必要不可欠なもの。お上の政策として、火事対策で火元を減らすために各家ごとに風呂を設けることが禁じられていたが、共同で風呂に入ることで薪や水の資源節約になるという意味合いもあった。なんと、1810年の文献には523軒の銭湯が江戸で営業していたと記されている。

江戸時代の銭湯は男女混浴が多かった。また構造としては湯気が外に出ないように湯船のある空間の入り口は低く、中はほとんど窓がなくて真っ暗だった。江戸初期には現在のような浴槽にお湯をはった風呂ではなく、蒸し風呂が主流でもあった。いまのような宮造りの銭湯が東京にできたのは、関東大震災(1923年)後。それまでは質素な作りだった銭湯を、腕のある宮大工たちが豪華で曲線の美しい「唐破風(からはふ)」様式にすると、これが人気に。そんな銭湯の時代の移り変わりに思いを馳せるのも良いだろう。
 
 
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〈鶴の湯〉
東京都台東区浅草5-48-4
 
〈曙湯〉
東京都台東区浅草4-17-1
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湯上りに颯爽と夜の街へ。浅草の〈初音小路飲食街〉で一杯引っ掛けるとしよう。大通りから離れたここは、観光客が少なくて穴場感あり。落語ではよく呑兵衛でどうしようもない与太郎が登場するが、かつてはこのあたりでも飲み明かしていたのだろうか?
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©️Masafumi Sanai
 
 
また、借金を返せなくて娘を吉原に売るというような話が落語にはでてくる。山谷堀を歩き、遊郭の名残として有名な〈見返り柳〉を見にいくのもよい。ここはかつて吉原大門があった場所で、遊郭帰りの男がこの門をくぐるときに後ろ髪ひかれる思いで後ろを振り返ったことから、そう呼ばれている。
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©️Masafumi Sanai
 
 
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〈初音小路飲食街〉
東京都台東区浅草2-16-7付近

〈見返り柳〉
東京都台東区千束4-10-8
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華やかな江戸のエンターテインメント、屋台のフードカルチャー、夜の文化、そして一歩路地を入ったところに営まれていた長屋で肩を寄せ合って暮らす庶民の姿。下町情緒を感じ、まるで落語に登場する人物のように、1日を過ごしてみては?
TRANSIT東京号も合わせてどうぞ。

text=Anna Hashimoto 
 
▼今回紹介した場所をマップにまとめました。

 
 
 
*施設の営業日や営業時間は、HPをご覧いただくなどして各自ご確認ください。


お詫びと訂正